今更だけどハヌマーンについて語りたい
東京の感染者が200人超えたらしい
そして梅雨は当分空けないらしい
朝は緊急地震速報で目が覚めたしこの国はそろそろ終わるのではないか
そんな一抹の不安を帰りの電車でハヌマーンを聴きながら思ってました。
ハヌマーン知ってますか?
2004年結成、2012年に解散したバンドで最近サブスクが解禁されてTwitterでちょっとした話題になってました。
解散してから8年も経つのに今でも話題になるバンド。それがハヌマーンです。
存在は大分前から知ってたけど聴き出したのは最近、何故か聴く気が起きなかったんですよね、でもサブスク解禁とともに聴き出したらもっと前から聴いてたら良かったと後悔しました。
それぐらい自分にとっては魅力的に見えたバンドなんですけど、ギターはナンバーガールから影響を受けたようなジャキジャキのテレキャスターと、スリーピースとは思えない音圧が聴いた瞬間襲いかかります。ポストナンバーガールと言われながら惜しまれつつも解散
音の話ばかりしてるけどこのバンドで個人的に聴いてほしいのは音では無く歌詞です。
このバンドのボーカル山田亮一が紡ぐ文学的な歌詞、どうやったらこんなの思いつくんだろうと驚きの連続です。
それでは紹介していきましょう。
アパルトの中の恋人達
正直この歌は深すぎて、アパルト1曲で3個くらい考察のブログ書けるんじゃないかと思います。
とりあえず1回普通に聴いてみてほしい
そのあと歌詞を見ながら聴いてみてほしい
そしてもう一回普通に聴いてみてほしい
どうですか?いいでしょ?回数重ねるごとに変わるでしょ
自分は仕事から家の最寄り駅まで帰ってきてこの曲を聴きながら喫煙所でタバコを吸うのが好きです。なんかエモい気分になれる。
曲の内容はアパートに住んでいる男女のすれ違いを描いてるんですけどその描き方がかなり歪
戦争が起きたらどうしようとか非現実的なことを考える男
浴槽のお湯のことや明日の朝食のことなど現実的なことを考える女
同じ屋根の下で暮らす男女でこうも正反対な考えが生まれるもんなんですね。
確かに男は常に非日常を求めてる生物だと思っていて、授業中にテロリストがやってくる妄想とか誰もが1度はしたことあるでしょう。
自分も最近は、仕事辞めたらバンド組んでMステに出てタモさんに髪切った?って言われる妄想ばかりしてます。
その話を友達にしたらタモリ倶楽部で我慢しろと言われました。
タモリ倶楽部でも十分すぎるわ
対して女性は割と現実主義です。ロマンを求めるのは常に男。結婚するときに年収とか気にしだすのもやはり女性の方が多いイメージ
そういうのって恋愛観にも現れると思うんです。
そんな誰もが感じたことのある価値観の部分をオシャレに切り取ったこの曲
他にもこんな風に表現するんだと思った歌詞が
「誰も知らない所で
虚しく色を変える夜の信号は
まるで今の自分そのものだった
もたげる首の角度までおんなじだった」
「守られるか無視される以外には
用途のない夜の信号は
ああなりたくないと思う女子そのものだった
不憫そうな姿までおんなじだった」
信号機という身近かつ、身近すぎて忘れかけていたもの
信号機の使い方がここまでうまい人僕は知りません。
こちらも男性目線と女性目線で考え方が変わっている歌詞です。
こんなに文学的に男女のすれ違いを描いたロックバンド中々いないと思うし、曲を聴き終わったあとは1つの小説を読んだ気持ちになります。
是非とも聴いてほしい
もう一曲紹介します。「若者のすべて」という曲です。
最後の花火に今年もなった歌ではないです。あれも名曲だけどね
いつか気が向いたらフジファブリックのことも書きたいと思います。
曲だけ聴いてると何言ってるか分からないと思う。僕もそうでした。
これも歌詞を見ながら聴いてほしい。めちゃくちゃ深いので
この曲の冒頭は歌詞を見る感じ、電車の人身事故が起きたシーンから始まる。
電車を鉄塊と置き換える独特のセンスには脱帽する。そのセンスを俺にも分けてほしい。
人身事故を冒頭に置く曲と言えばあいみょんの「生きていたんだよな」が真っ先に浮かんできた。あまりにも淡々と片づけられる命、事故に大して大体の人間はお悔やみを申し上げるわけでもなく電車が遅れたことに怒り、苛立ってしまう。そのことに対しあいみょんは疑問に思ったのだが、山田亮一は死んだ青年に嘲笑われたと感じたのだ。
お前らは俺が死んだことで、予定が狂わされただろう。俺は一足先に幸せになるぞと言わんばかりに青年は嘲笑っていたのかもしれない。
そう考えると死は救済なのかもしれない。本当に死ぬのは良くないけどそのくらいこの青年は色々と追い詰められていたのだろう。
そこからこの歌は嘲笑われた「俺」の葛藤が始まります。
そしてラスサビ
「心で歌うな喉で歌え
オンボロになって初めて見える価値」
オンボロになって初めて見える価値
葛藤の末にこの結論に行き着いたのではないのかなと
死ぬほうが幸せだという理論をオンボロになっても見えるものはあるんだと
「so that's killed me歌うのだ
失望の望を怒鳴るのだ」
失望という字は失うという言葉と望みという言葉で成り立っています。
真反対の言葉同士で成り立っています。
失望を怒鳴るのではなく「望」を怒鳴る。
望みを失っただけなら失望だけを怒鳴ればいいのに何故「望」に着目したのでしょうか
それは望みを失っていないからだと思うからです。一見失ってるように見えても自分の中ではまだ消えていないぞと叫んでるように思えます。
この考察が当たってるか分かりませんがこの曲は人によって様々な見解が生まれそうですね。
自分はまだ終わってないから死ぬわけにはいかない。生きていれば望みも叶う。前半の議題を中盤で悩み後半で結論を出す。
アパルトの時も言ったけど本当に1つの小説を読んでいるようです。
これがハヌマーンの良さ
みなさんも情景を思い浮かべながらハヌマーンの世界を覗いてみては如何でしょうか。